2003~2020年度の川崎医科大学衛生学の記録 ➡ その後はウェブ版「雲心月性」です。
川崎医科大学 学報 学生版 編集後記
2011年7月8日
東日本大震災でお亡くなりになられた方にはご冥福をお祈りいたします。

またご家族の方,そして被災されて避難を余儀なくされてらっしゃる方々,これからの生活に向けての不安を一杯抱えながら,それでも復旧復興に向けて前を見つめてらっしゃる方々に,心よりのお見舞いと,そしてそれでも「がんばろう日本」という言葉に寄せる思いのありったけをお届けしたく存じます。

2011年3月7日から11日まで米国ワシントンDCで米国トキシコロジー学会に参加していました。

帰国便が成田空港に着陸する直前に,アナウンスで地震があったのでしばらく旋回するとのこと,そして,羽田に行き先を変更するとのこと。

どうにか,羽田についても滑走路で1時間以上,停まっていました。

乗客の方の中で,身近で携帯などの電波が出てはいけない人が居ないことの確認の後に,携帯やPCでニュースを見て,大規模地震だって分かりました。

また待機中でも余震で揺れました。

漸く,羽田の国際線ターミナルに入っても,国内線ターミナルへのシャトルも動いていない,そして,米国からの飛行機で一緒だった米国人の沖縄へ飛ぶつもりだった女性,あるいは老夫婦,さらには上海へ飛ぶつもりだった中国人女性などと羽田スタッフとの間を取り持ちながら,こちらもさて,どうすればいいのか? って。

一応,国内線ターミナルまでは動けたのですが,種々の窓口は長蛇の列。

もう羽田泊を覚悟していた頃に,岡山便は飛ぶって掲示があって,バタバタとチェックインをして,なんとかその日に自宅まで帰れました(同じ飛行機だったほとんどの知己の先生方は羽田泊だったそうです)。

ただ,その後の報道を見るにつけ,そして原発事故の推移を見るにつけ,こんなエピソードなどは云うべきほどのものではなく,只管に,ひとりでも無事に,と気持ちが揺れ動いてばかりでした。

予防医学などの領域での,リスク分析としてのリスク評価・リスク管理そしてリスクコミュニケーション,それらが,どこかで蔑ろにされ,あるいは根拠のない安心感,ジブの人生80~100年の中には怒らないだろうって単に盲信してしまう感覚,それらが如実に白日の下に晒され,3.11後の日本の羅針盤が未だに定められずにいる状況の中,せめて眼前に対峙している人の健康に携わる仕事,あるいは将来その領域で知識と技能のすべてを万全に発揮出来る人材を養成する仕事,そういったものに,これまで以上に真摯に向き合わざるを得ないと誓うしかないここ数カ月を過ごしています。

3月一杯までの1年間,RSKのAMラジオで,あるこーなーを持っていました。

3/19の放送では,リスナーからの支援応援メッセージを伝えましたが,その時に,オリジナル復興支援ソングをギター弾き語りしました。

YouTubeで「大槻剛巳」で検索して下さい。

聴いて下さった方が,想いを東北に向ける一つのきっかけになればいいなぁって,皆が想いを向けることが,それでも気持ちのパワーとして伝わればいいなぁってそんな想いです。

「がんばれ東北」ではなく「がんばろう日本」。

特に人の健康に関わる限り,その領域で自分の持てる主税を最大限に発揮したいと感じます。

まだまだ事態が日々推移していく我が国の中で,祈りと,そして科学に携わる者が何を出来るかを熟慮しながら,一瞬々々を真剣に過ごして行きましょう!